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傘寿も過ぎ気力・体力不足に悩む日々。旅もスキーも年貢の納め時かも。まだ少し残っている知力・気力・体力を使い何をしょうか?

谷川岳 2008-10-18 (土) 快晴 [山行記録2008年]


P1070148.jpg 今日はいつもの会の定例月例山行だ。絶好のハイキング日和だネ。谷川岳!若いときにも数回きた。ブランクがあったが、ここ数年でも三度ほどきた。谷川岳の東面の岩場は剣、穂高とともに日本の三大岩場の一つでもあり岩の殿堂としてアルピニズムを育ててきた。標高こそ低いがアルプスの雰囲気を醸し出している。


 また、自分の年齢、経験、技量等により登り方やルートの選択肢が数多くある。ロープウエイを利用してのハイキングから厳冬期の一ノ倉のバリエーションルートまで多彩である。

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 ↑ 左がトマの耳、右がオキの耳。西黒尾根がトマの耳に突き上げている。鹿島槍を少し小さくしたような双耳峰だ。圧巻、絶景、文句なし。

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P1070167.jpg ↑ 白毛門も良く見える。右が松の木沢の頭、左が笠ヶ岳だろうか。冬はなかなか手強そうだ。それにしても素晴らしいお天気だ。雲一つ無し。土合口からロープウエイに乗るが、10分待ち程で乗車。まだ、観光客が来る時間ではないためか行楽日和にしては空いている。天神平でいつものように体操をする。9時過ぎに出発。


 しかしぃ・・・・・。この行列は・・・。スゲー、ハイカーが蟻のように登っている。我々も総勢22名だから蟻の集団だね。
クサリ場では渋滞も発生している。

P1070173.jpg  ← 西黒尾根上部だ。登山者も見えるがチラホラだ。この天神尾根の混雑とは大違い。この西黒尾根は大好きな登山道の一つだ。一昨年登った時もエエ天気だった。あれからはや、二年が過ぎ去った。自分を取り巻く環境も激変した。二年前を振り返ると懐かしい。
良いも悪いも時は過ぎ去っていく。歳のせいか、最近やたら過去を振り返る。

 斜面に熊笹が密生している。豪雪地帯のせいで森林限界が低いのかなぁー。お陰で展望が抜群だし、これが這い松ならアルプスの景観だね。フント!

  ↓ 万太郎山、仙ノ倉山と続く山稜。静かな縦走を楽しめそうな稜線だ。土樽か苗場方面から入山しても相当キツそうだ。まぁー、若者向きとしょう。

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P1070189.jpg ← 西黒尾根への分岐標識だ。このあたりは尾根が広いためありがたい。もう少し高いほうが積雪期にはエエと思うが・・・。ホワイトアウトになったら何処を下っているのか解らんもんね。
肩の広場は大混雑している。小屋のトイレも大行列。山頂も人、人、人・・・。ここまで約3時間。お腹も空いたのでここで昼食とする。―12:10

↓ 肩の広場からの西面の眺めは素晴らしい。上越国境の山並みだ。

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↓ トマの耳だ。肩の広場から5~6分程で到着。山頂からの眺望はもちろん圧巻、絶景、コメントなしだ。山頂は狭いし人が一杯なので小休止後すぐにオキの耳に出発。15分程でオキの耳山頂に到着。勿論、ここからの眺めも言うことなし。ここの山頂も狭いし人で一杯。

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  ↑ オキの耳から少し一の倉岳方面に下る。このあたりから一の倉沢がちょっと見える。遙か下に一ノ倉出会いが俯瞰できる。また、南陵も良く見える。本当は覗きまで行きたいのだが時間的にこのあたりまでとする。

P1070205.jpg 下山は往路を戻る。山頂を振り返るがクマザサがフカフカの絨毯のようだ。雪が積もれば素晴らしい斜面となる。まだ登ってくる人もいて、相変わらず登山道は渋滞気味。森林限界辺りから振り返ると薄いガスが山頂を包み込んでいる。幻想的な景観だ。3時過ぎに天神平に着いた。なんとなんと、スゲー。ロープウエイの待ち時間が50分だと。

 観光客も大勢いるし、この時期、この天気では当然のことだろう。気持ちの良い一日だったせいかイライラすることもなく列に並び約一時間後に乗車できた。

P1070209.jpg 大昔の肩の小屋は避難小屋というよりシェルタのようで、なんかピラミッドのような形をしていたような記憶がある。出入り口の扉もなく、雪が多いと当然使えるようなしろものではなかった。今は立派な小屋があり、万太郎山、仙の倉山、平標山から三国峠への国境稜線の縦走なども便利になったようだ。


 昔は上野発の夜行列車で5~6時間かけて(勿論、帰路も夜行列車)土合駅まで行ったものだ。ホームからのながぁ~~い階段がつらかった記憶がある。当然、関越高速道路も無かったし、車を利用しての登山など考えられなかった。まだまだ貧しかった時代だネ。当時、谷川岳は魔の山として恐れられていた。 昭和40年代でも遭難者は600人以上のはずだったので現在では800人以上???。殆どが昭和40年代後半までの遭難だろう。

 昔は東面の岩場は1月、2月も登山規制が無く入れたため、一の倉沢、幽の沢での遭難が多かった。また、無雪期でも単独登攀の墜死が多かったようだ。特に上級者が自分の技量を過信して墜落したケースが大半と聞いている。雪崩で磨かれたスラブ、草付きの脆い岩など陰惨な岩場が多い。スケールも剣、穂高以上だろう。
ロープウエイから紅葉の山腹を眺めながら何度も心の中で合掌する。



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